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5月1日、サイファを迎えに病院へ行って来た。
小さな白い箱の中で花に埋まっていたサイファ。パンジーやラナンキュラス、デイジーなど季節の可愛い花々は病院の先生やスタッフの方の庭から?
温浴後やアリアにボビングして大興奮で色が上がった時と同じ、白地にラベンダー色とオレンジ色の模様が浮き上がった綺麗な色。一番綺麗な色の背中で眠っていた。頭を撫でるといつもの感触。お腹や背中は硬くなっちゃったね。
先生と話をする。飼い主の目では死亡原因は全身状態の悪化としか分からない。病院としても余りな急変のためはっきりとした死因が分からないとのこと(飼い主がギリギリに転院したせいもある)。先生に解剖してみては?と提案される。私も何か掴めるのなら解剖出来ればと思っていたのでお願いした。
何が起こったのか、何が悪くて急変したのか、何故サイファを助けられなかったのか知りたい。今後他の子達を守って行くため何か分かることがあるなら知っておきたい。
すぐ取り掛かって貰った解剖の後、デジカメで撮った画像を見ますか?と聞かれる。もちろん見る。全て見て知っておきたい。それぞれの臓器の画像を見ながら外観から分かる事等の説明を受けた。また病理検査の結果が出たら連絡を貰い話を聞きに行くことにした。
具体的に現在の飼育状況、サイファをどう育てたかの話をし、改善点などアドバイスを頂く。大丈夫と思ってやっていたことが余り良くないことだったり、知識不足や認識不足、慣れによる甘えなどが見えて来た。アリアもサイファと同じ環境で育てている。改善出来る点は即改善。
サイファの病理検査の結果が出たら、アリアも連れて行って血液検査やレントゲン等一式健康診断をするつもり。サイファの遺したものを無駄にせず前へ進もう。
1日の夜、全て電源を切って暗くなったケージにサイファを箱ごと戻し、線香を上げた。
相変わらず色んな思いがぐるぐる回って涙が溢れるけれど、いいトカゲだったなぁという気持ちが一番強くて何度も顔を見る。死に顔が目に焼き付いてしまうより元気な頃の顔を覚えておきたいけれど、もう息をしていなくても、サイファが居るという安心感が何故かあってついつい見てしまう。大好きな人の写真を見る時のように、なんだかちょっと半分嬉しいような懐かしいような気持ちで箱の蓋を開けたり閉じたり、私は何をしているんだろう?(苦笑)
もうこんないいトカゲには会えないだろうと思うと、また箱をそっと開けて冷たい背中を撫でてしまう。最後まで頑張ってくれてありがとう。もう苦しくないから安心して眠っていいよ。
朝までそんなことを繰り返しながら、線香が消えてはまた点け、朝方やっと少し眠気が来てベッドに横になる。3時間ほど続けて眠れた。
28日夜のサイファの急変以来、寝ようとしてもうつらうつらする度に「まだ生きてるか確認しなきゃ!」「水分補給!」「ご飯やらなきゃ(元気な時の夢)」とすぐ夢を見て飛び起きていた。30日サイファが旅立った後も同じ状態でそこにサイファは居ないのに様子を見なきゃ、水分与えなきゃと常に夢うつつで眠れなかった。
もう動かないサイファだけれどちゃんといつものように私の傍に居るという不思議な安心感で3日振りに眠れた。
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5月2日、予約していた斎場(ペット霊園)にサイファを連れて行く。
「剥製」という考えも人から貰った。ちょっと考えた。サイファの姿がなくなってしまうのが本当に淋しい。いつも撫でていたザラザラの背中、私によじ登っていた力強い腕と爪、そのままの形で残せたら…いや駄目だ、毎日触って離せないかも知れないし動かないサイファを毎日見るのは辛過ぎる。いずれ劣化する剥製を見るのもまた辛い。
思い出と写真は溢れるほどある。頑張って傷だらけになった体はもう休ませてやろう。
サイファの体にお別れをして自分で炉のボタンを押し、火葬の後骨上げをする。しっかりしたぶっとい真っ白い骨。写真に写っている歯がそのままの形で残っていた。
中味は小さいおっさんが入っているのかと思っていたがちゃんとトカゲだったよ。

お気に入りだったバスキング台にお風呂上りに包まれるのが好きだったふかふかタオルを被せ、生きている頃は決して食べようとしなかったフトアゴフード、同じく葉っぱ、子供の頃大好きだったミカン(レプリカですけどね)をお供え。好物の虫は逃げるから(笑)
何故こんなに入れ込んでいるか、自己陶酔みたいなウェット過多になっているか?不思議にお思いの方も居るのかも?
私が体調を崩して休職し、やっと何とか仕事に戻りそれでも休む日も多くまだまだ薬が手放せなかった2007年の秋、ネット上の一目惚れで私の所へ来ることになったサイファ。フトアゴは馴れるトカゲとは聞いていたもののここまで飼い主べったりになる賢い動物とは思っていなかった。最初からびっくりするくらい馴れるというより懐いてくれた。
サイファ以外の家族達は「ペット」で「飼っている」という感覚がどこかしら残っているけれど、サイファについては「パートナー」で「一緒に暮らしている」という感覚で、私が一番落ちている時に本当に癒してくれた存在だった。
サイファだけは別格だった。
まだ60cmケージに住んでいた子供の頃のサイファ。1歳ちょっと。思えばサイファは小さな(フトアゴとしてはでかいが)トカゲなのに存在感が大きくて、そして居て当たり前で、その居てくれることに私は気持ちの上で甘えていたと思う。サイファが生活するよすがになっていた。
サイファと私が恋人同士のような、とコメント頂いたことが何度もある。確かに甘えさせてもらっているような包容力を勝手に感じていた。ふとケージに目をやるといつも私の方を見ていた。

犬のように飼い主である私とその他の人間を区別していて、私にはガシガシ登って来てしがみつくが他の人だと嫌がり、餌も他の人からだといぶかしげに見て食べようとしなかった。私の肩に乗っている時に他の人が傍に来ると威嚇したことすらあった。
大事な大好きな特別なトカゲだった。フトアゴは確かに懐くトカゲだが、サイファと私は自分で言うのもなんだが本当に特別だったと思う。


リアルのサイファと私を見ていた(というかいつもサイファに睨まれ、餌をやろうとして拒否された)人から「傍から見ていても本当に仲良しだった、サイファは飼い主と会えて幸せだったよ」と言葉を貰った。そうだったらいいな、3年しか生きさせてやれなかった不甲斐ない飼い主だけれど。
一緒に居た頃、犬猫とは違うけれど、確かにトカゲなりの愛情を向けられているのはしっかり感じていた。思い込みかもしれないけれど。

火葬が終わり、こうやって書くことでも少し気持ちの整理が付き、してもし切れない後悔や何故こんなことに!?という気持ちは少し落ち着いて一人でじっとしていると、私の所に来てくれてありがとう、2年半一緒に居てくれてありがとう、もう少し一緒に居たかったのにごめんねという気持ちと一緒に、ただ淋しさがじわじわと押し寄せて来る。
今は3日以上泣き続けたせいか感覚が麻痺して喪失感が掴み所のない遠い感覚になっている。サイファが居ないと大声で泣き喚きたいが喉の所に石が詰まっているような感じ。
落ち着いて理性が戻って来たらまた考えても仕方のない後悔と割り切れない気持ちが何度も波のようにやって来て、当分は愚図愚図するんだろうな。
他の子を見送った時も色々と後悔も涙もあったけれど、サイファはやはり特別だったのか、自分がこんなに激しいペットロス状態になるとは…と驚いている。しかもトカゲ、人によっては多分理解不可能(苦笑)
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今見ても非の打ち所のない可愛い笑顔のサイファ。
飼い主の贔屓目を割り引いても、綺麗な色にしっかりした大きな体、可愛い顔(たまにオッサン)、図太くておおらかな明るい性格だった。
病院で別れる時も火葬の時も、実はサイファにさよならと言っていない。そういう気持ちが全く浮かんで来ない。主の居ないケージからはまだ夜中に身じろぎするゴソゴソという音が聞こえる気がするし(はい幻聴です)、写真を見ると言葉にならない声が聞こえて来る。
多分ずっとこうやって、サイファの体はなくなったれど今までとは違う形で傍に居る気がするまま過ごすんだろうな、バカ飼い主は。

いつまでもめそめそしているとこういう風に怒られそうだが。
まだアリアも居るし、レオパーズもヴィヴィアンも元気に天寿を全うさせないといけない。私の爬虫類飼育の中心はサイファだった。今はぽっかり穴が空いたような気持ちだけれど、彼が居なくなっても他の子達への責任が消える訳じゃない。
サイファが残してくれた物を生かして他の子達を大事に育てることで、サイファにお礼をしようと思っている。
今日も相変わらずアリアに威嚇されて凹みながら。
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この長文を最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
サイファにベタ惚れだった飼い主が立ち直るまでには少々時間を頂くと思います。実際の所、まだサイファが居ないということが腑に落ちていません。
でも落ち込んでぼーっとしてばかりも居られません。サイファを思い出しながらPCデスクの傍にしつらえたささやかな祭壇に線香を継ぎ足し継ぎ足し、長い時間を掛けてこの記事を書きながら、途中で他の子達のケージの掃除をしたり水槽の掃除をしたり、レオパーズに餌をやりヴィヴィアンにも給餌ついでに肩に乗せたりして世話をしています。
数日経てばまた普段のブログに戻ります。
沢山のお気持ち、励まし、そしてこれまでサイファを可愛がって下さりありがとうございました。
まだ私の肩の上に居るようですので、代わってお礼申し上げます。

エレミヤ+サイファ拝
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