猫カテゴリの記事を読み返すと、もうずっと前から老いたなぁという事ばかり書いていて、年々体力が衰えて行く彼を無意識に受け入れていたんだなと思う。
記憶にある限りでは2年程前から飲水量と尿量が目に見えて増え、獣医で相談したけれども年齢的に腎不全は進んで仕方がない、自分で必要な量の水を飲んで調整しているのだとのことだった。
元々体質的に腎臓系が弱く、またストレスに弱い猫で小さい頃から何度も膀胱炎や尿路結石を繰り返し(そんな所飼い主に似なくていい・笑)ずっと療法食で対処していた。腎臓が弱いと長生きは出来ないので、毎年誕生日を迎える度にまた一年頑張ったなぁと思いつつ、先代猫(私が学生の頃飼っていてその後ユーリが来てからも長く実家に居た猫)と同じ17歳手前まで生きてくれた。
露骨におかしいな?と気が付いたのは亡くなる2週間程前、大好きだったキャットタワーに登らなくなり、ダイニングの椅子の上が定位置に。更に1週間前には椅子にも乗らなくなって、床で座っているようになり、この頃からトイレが間に合わないのか床に粗相することが多くなり、仕事から帰宅すると床に水溜まりがあるように。
ここ1年程、飼い主在宅時はトイレに付いて来て欲しがって、そう言う時は傍に来て鳴いてトイレの前まで行って待っていたのが、最近は飼い主を呼んだかと思うとその場で漏らしてしまうことが多く、ネットに繋いでチャットなどしている最中に「猫がー!」と叫んだことも何度も(笑)
こうやって飼い主の膝に張り付いてたっけ。
去年の5月、ゲーム中の飼い主の膝にはいつもユーリが座ってました5月19日の夜、ユーリは毎晩飼い主帰宅後、膝に乗ってブラッシングとおやつを貰うのが日課だったのだけれど、いつも通りの日課を済ませた後、廊下を歩いている最中に急に腰が砕けたようになり、特に後足がふらつくようで真っ直ぐ歩けなくなって瞳孔が光に反応しないようになった。視力はほぼ失われた感じで、しかし餌や水を顔の前に持って行くとちゃんと普段通りの量を食べ、これもいつも思うことだけれど、動物は最後の最後まで生きようとするんだなと。
これ以降、狭い所に入り込んで出られなくなる、飼い主の声に反応しない、瞳孔が開いたまま、撫でてもゴロゴロ言わないなど、典型的な痴呆の症状が出て、廊下で倒れた時がスイッチだったのだと思う。夜半には横になってうつらうつらしたままになり、撫でると気持ちよさそうにはしているが意識は遠い所にあるのが見て取れた。
「今日までだな」と、もし朝まだ息があったら獣医へ行くことにして深夜から朝まで添い寝して、20日の朝に動物病院が開くのと同時に連れて行ったが、この朝は普通に自力で立って歩き、まだ酷い尿毒症の症状もないとのこと。自力で水も飲んでいることから輸液もせず、帰宅してまた餌を食べ水を飲み、寝ているように。
獣医の先生と話し、ここ数年、他の動物でギリギリまで治療をしてそれによって余計な苦痛を与えてしまったかもという後悔(ある意味確信)もあり、現在の私の主義として出来ることは全てするけれども延命の為だけの延命治療や強襲的治療は行わない、苦痛だけ取り除ければ自然に任せることを決めて帰宅。苦痛が本猫にとって耐えがたいものであれば’しかるべき処置’も選択肢に入れた上で。
大型種の雄猫で17歳手前、猫の平均寿命は既に通り過ぎており、十分生きたこともあり、先生も「自分の猫だったらもう無理はしない」とおっしゃっていた。
21日は落ち着いていたので、後ろ髪引かれる思いだけれど仕事の都合もあり、朝スプーンから餌と水を与え、普段通りの食欲で食べたので一応安心して出勤。帰宅後も寝転んだり、立ち上がって痴呆の症状からあちこち嵌り込んだりするのを捕まえては落ち着かせていたが、8時頃に酷い痙攣発作を起こし、掛かり付けにどうしても連絡が取れなかったため痙攣だけは止めようと夜間診療の獣医へ。しかしここでも何故か診察台に乗る頃には落ち着いていて、痙攣止めの薬はあるけれども状態からそれで命が終わってしまう可能性があるため処方できないと言われ、輸液だけで帰宅。
毛布に寝かせてブラッシングすると眠ってしまい、撫でているとふと顔を上げたので手のひらで枕させてやると、元気だった頃の仕草そのままに前足で私の腕を押さえてじっと私の顔を見た後(見えてないと思うけど)、まるで具合が悪いとは思えない普段通りの寝顔で眠りについた。ほんの少しだけ正気に戻った一瞬だったのだと思う。そのまま私の横でずっと寝ていたので朝まで傍で看ていた。
ユーリ11歳22日の朝、もう夜半からずっとぼんやりと寝ているだけのユーリに餌を与えたが食べようとせず、臭いにも無反応。
今日…という事はなくても数日中と覚悟し、無理矢理仕事を休む。
薄く口を開けて体が硬くなってきていて、時々シリンジで水を与えると飲み、名前を呼ぶと前足を動かすのでぼんやりと意識はあったと思う。聴覚は最後まで残るので声掛けだけはずっとしていた。
午後になると微かにいびきをかきはじめ、元気な頃は寝言やすぴすぴ言ういびきはいつもの事だったのと、月曜以降あれだけ口数の多かったユーリが一言も鳴かなくなっていたので、久し振りに声を聴いたなと思って見ながらもしかして今日かも?と思った3時頃、一度大きな痙攣発作があり、ああ逝ってしまうんだ…と。
それから息が荒くなり、3時15分頃にもう一度大きく痙攣し、抱きしめて名前を呼んで体を揺さぶったけれど反応なく…段々と息が浅くなり、3時22分、最後にもう一度だけびくっと体を震わせた後、すっと全身から力が抜け、旅立って行きました。
思えば痴呆のスイッチが入る前日の夜、もう椅子にも登れなくなっていたのにソファに座っている私の膝に乗りたがり、座らせてやると喉を撫でろと要求したり、以前よくしていたように背もたれと私の間に挟まってゴロゴロ言ったり、久し振りに甘えてるなどうしたんだろうと思っていたけど…あれが最後の挨拶だったんだな。
当日の朝は寝たきりになったまま暫く永らえるかも?と思っていたけど、思いの他旅立ちが早くて呆然とする反面、長患いをせず、最後は痴呆が入っていたので身体的な苦痛は余り感じていなかっただろうと思えることと、最期の苦しみもちゃんと傍で目を逸らさず全部見て、手を握って送ってやれたことで後悔はありません。
ブログに書いた猫日記を振り返ると、最初に書いたように無意識に覚悟を積み重ねて来ていたのも大きいのかも。
13歳。本当に綺麗な猫だった。以前似たような内容を書いたのは約4年前、蜥蜴のサイファを送った時。
ユーリとも仲良しで賢く蜥蜴としては信じられない位飼い主にべったり馴れていたサイファ。寿命までは程遠く、死後解剖するまで死因が分からず、あの時こうしていればという後悔が山積みになっていたサイファの死。その後また何匹かの動物を寿命や病気で見送り、病気の場合は出来る限りの治療をしてそれが本当にその個体にとって良かったのかずっと迷いと後悔があり、ユーリに対しては猫の平均寿命を過ぎてからは、何があっても無理はさせず、ただ最大限苦しくないよう、自然に見送ろうと決めていた。
本当に甘えん坊で口数が多くてうるさくて、私の事が大好きだったユーリ。やたら病気するわ更に病院に連れて行くとストレスで血尿出すわ、引っ越しした時には新しい環境がストレスで、私のタンスの引き出しで2週間暮らしていたビビりのユーリ。
私が数年前ふらっと数泊出掛けたりして居た頃、出掛ける前にはトランクの中身を掻き出して邪魔し、帰って来たらしがみついて離れず、トイレやお風呂まで「また僕を置いて出掛けるのにゃ?」とストーカーしていたユーリ。
植物を梱包しようとすればどう考えても自分が入れない小さい箱に入ろうとして邪魔し、植え替えをしていれば鉢を倒し、輸入苗を植え付けようとしていると本体と札を前足でまぜこぜして私の同定能力を鍛える手助けに余念がなく、交配作業をしようとすれば花を食い千切り…碌な思い出がないな(笑)
いずれにしろ、本当に楽しい16年半でした。
人間大好き、気持ちが穏やかで同居の動物たちにも優しく決して攻撃するようなこともなく、脱走した小さい仲間がどこにいるか探して教えてくれたり。こんな猫にはもう巡り会えない。サイファが特別な蜥蜴だったように、ユーリもサイファの5倍以上の年月を私の傍で過ごした特別な猫だった。
仲良しだった2匹があちらで
「なんやお前もう来たんか」
「もうちょっと頑張れると思ったけど駄目だったにゃ」
「飼い主いつ来るやろか?」
「世にはばかるタイプだから当分待たないといけないと思うにゃ?」
とか言っているのが想像できたり(笑)
ユーリ9歳、サイファ1歳サイファをはじめ他の動物たちに対するのと同じように、それ以上に、一番大切だったユーリには感謝しかありません。
いつもユーリが一番でした。どれだけ動物が増えても「ユーリが一番可愛い、一番大事」と声にしていつも伝えていたので、他の動物にも優しくしてくれていたのかもと思います。
動物にしろ人にしろ、生き物にはいつか、どんな形にしろ必ず別れが来ます。大好きな相手、大切な相手には言葉と気持ちを惜しまず、いつも大好きだよ大切だよと伝えるのが大事だなと、ユーリが旅立って心から思います。
長い間お疲れ様でした、ありがとうユーリ。また会おうね。
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